管理人の記録

ペンネーム: 管理人
年代: 20代
投稿日: 2025年12月11日

管理人の婚外子記録として投稿してみました。
読んでいただけたら嬉しいです。
気になることや感じたことがあれば、コメント大歓迎です!

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私は両親がともに16歳のとき、婚外子(非嫡出子)として生を受けた。
両親は結婚することなく、私は母の戸籍に入った。

幼少期からずっと、自分の環境は「どこか普通ではない」と感じていた。
その理由は、周りを見ればすぐに分かった。

他の子には”父親”という存在がいること。
それが “当たり前” なのだと、周りを見て気づかされた。

というか周りからしたら、それが普通らしい。
「そもそも子供って、親が結婚して生まれるものじゃないの?」
皆からしたら逆に私の方がおかしい状態。

なぜ結婚もしてないのに自分が生まれてきたのか、だから不思議でしかなかった。
それまで普通だと思っていたことが崩れた時だ。

普通ではないと分かってから、今まで気にならなかった自分と周りの格差に気がついた。

「欲しいものを買ってもらえる」
「家族で旅行に行く」
「七五三」「習い事」
——そんな“当たり前”が、私にはひとつもなかった。

経済格差、体験格差とでも言おうか。
そう婚外子として生まれた私には、最初から「与えられた手札」がほとんど何もなかった。

しかも、母は毒親だった。
そして母ではなく女なのだ。
自信が親という自覚はなく、母子手当は自分の遊びに使ってしまう始末。
髪色は金髪で両肩には刺青が入っている。
プラプラと遊び回る日々。
ただのヤバい女。
子供の時に、当たり前のように享受されるものが、私にはなかった。

満たされることがなかった子供時代を経て、私は大人になってしまった。
このような経験をした子供たちは悲観的な考えを持って大人になる人が多いと思う。
私もその一人だ。
特に、自分が「男女の遊びで出来てしまっただけの人間」と自覚した時は本当にどうしようもない気持ちになる。

それでも、こうして私は生きてきた。
頑張って生きた。
そして、これからも生きる。
生まれてきた意味がなくとも、自分にできるものがあると信じて。

同じ境遇の人もきっといるはずだ。
周りには話しづらいし、話たとしても理解されないことだってある。
“冗談言うな”と笑われてしまった日もあるだろう。

そんな人たちにとって当サイト“婚外誌が心の拠り所” になれたらいいなと思っている。

ただ「傷を舐め合う場所」ではなく、経験を言葉にする。
その経験を通してあなたがより強く生きられるように皆で盛り上げるって感じかな。
そんな気持ちで、このサイトを運営していくつもりです。

以上が、管理人である私自身の記録になります。
ここまで読んでくれて、本当にありがとう。

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