こんにちは!
当サイト「婚外誌」を運営している管理人です!!
ここでは婚外子として生まれた管理人が「七五三をやらなかった」ことについて、当時を振り返りながら思いを書いていきます。
よければ最後まで見ていってね!!
はじめに
七五三。3歳、5歳、7歳の節目に、 子どもの成長を祝う日本の伝統行事。
周りの子どもは着物を着て、写真館で撮影して、 神社にお参りする。
その光景を私は家の窓から見ているだけだった。
窓から見えた光景
窓の向こう側。
綺麗な着物を着た子どもが、 お父さんとお母さんに手を引かれて、 嬉しそうに歩いている。
その日は「七五三」という行事らしい。
子どもの成長を祝う日本の伝統行事とのこと。
子どもが「千歳飴」と書いてある袋を持っている。
子どもの健やかな成長と長寿を願うために食べるらしい。
なんとも不思議な光景だった。
同い年にも関わらず、当然のように自分はそちら側にいないのだから。
「お金が掛かる」
一度、母親に「七五三をやってみたい」と言った記憶がある。
返された言葉も確か「お金が掛かる」だった。
お金がないのもは仕方ない。
だから「自分には縁がないもの」だと思うようにした。
小学校の宿題「七五三の写真を持ってきてください」
月日が流れ、結局「七五三」をやらずに小学校中学年になった。
その時、確か「道徳」の授業だったかな。
宿題で「七五三の写真を持ってくる」ことになった。
「成長の軌跡」をみんなで見るために。
私は先生に聞いた。「七五三の写真を持っていない人はどうすればいいのか。」
返答は「今日撮ったものでいいよ」とのこと。
次の「道徳」の時間、持ってきた写真を黒板に貼り付けていく。
みんなも同様に貼り付ける。
そこに映るのは「綺麗な着物を着た同級生の写真」たち。
幼い顔立ち。
ぱっと見ただけでは誰か分からない。
人の成長を感じられて面白いな。
「これ○○くん? 変わらないね!」「○○くんの着物姿カッコイイ!」「○○ちゃん可愛いね!!」などなど。
様々な言葉が飛び交う。
その中で異彩を放つ写真があった。
それは「私が持ってきた写真」だ。
普段着で映る私。
何も装飾されてない私。
成長も何も感じない。
それはそう、撮ったばかりの写真だし。
誰だか分かる写真には、みんな興味がないようだ。
みんなが楽しそうにワイワイしている。
私はそれを眺めることしか出来なかった。
何とも言い表せない気持ちに駆られる。
まさか、こんなにも違うなんてね…
大人になって思うこと
「七五三」をしている子どもを見ると、今でもあの頃を思い出す。
周りが普通に享受されるものが、自分には与えられなかったこと。
何気ないことかもしれない。
だが子どもの時の「七五三」などの体験が、自身が大人になった時、自分の心を裕福にしてくれるものだと思う。
子どもの時の記憶は悲しいものほど大人になった今でも覚えている。
七五三は「やる」「やらない」どちらがいいのか
私は七五三を「やる」ことをオススメする。
私個人の意見になってしまうが、こういった年月での行事はそう何度も出来るものではない。
大事にすべきだと思う。
もちろん写真だけでも構わない。
それに子どもの成長はあっという間だ。
その時々に映る華やかな自分。
大人になった時に、自身の成長を振り返れるものがあるのは、とても感慨深いと思う。
私と同じ経験をした人に向けて
七五三をやらなかった人は、私だけではないと思う。
同じような思いをした人もいると思う。
でも、七五三をやらなかったからといって、あなたの価値が下がるわけじゃない。
もし同じ経験をした人がいたら、コメントやメッセージで教えてください。
一人じゃないと知ることで、少し楽になれるかもしれません。
※この記事は管理人の個人的な体験です。
さいごに
いかがでしたでしょうか。
もし「七五三」をどうするか考えている方がいれば、私の体験が参考になれば幸いです。
当サイトでは「婚外誌」というものを運営しております。
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